2009年06月17日

ニューズウィークの記事

議論が科学者の集まりで行われている間、一般メディアではさらに劇的な事態が生じていた。1975年4月28日、ニューズウィークマガジン[16]の「寒冷化する世界」と言う題名の記事が、「地球の気候パターンが変化しつつあると言う不吉な前兆」と言う点や、「1945年から1968年の間の北半球の平均気温が華氏温度で半分になった」と言う点を指摘した。この記事は「これらの(地球寒冷化の)予測を裏付ける証拠は、それを集めるために気象学者が大変な状況になるくらい、現在大量に収集が始まっている」と述べた。「ニューズウィーク」の記事は寒冷化の原因については述べていなかった。ただ、「氷河期の大小の要因が何かと言うのは謎である。」と述べ、NASの結論「基本的な科学的な疑問はほとんど回答できない。ほとんどの場合、我々は根本的な問題に焦点を当てるほど知識が無いのだ。」と言う文章を引用した。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合


その記事では、「黒いすすに覆われ氷河が解けるか、氷河の進路を変えるか」の2者択一の解を示していた。しかし、これらは実現可能なものではなかった。「ニューズウィーク」の記事は、次の様に政府の指導者を非難する形でまとめていた。「しかし、どこかの政府の指導者が単に食料の備蓄を行うとか、将来の食糧供給の経済的な見通しに気候の不確かの要素を導入するなどの一部の兆しを、科学者は見ている…。もはや計画に(政治家たちに)猶予は無い。気候の変化に対して対抗することが難しいことに気がついた時には、結果は残酷な現実となる」記事は、「飢饉が破滅的に訪れる」、「干ばつと荒地」、「記録上最大規模の竜巻の発生」、「干ばつ、洪水、乾季が延び、長い氷期、雨季の遅れ」、「食料不足で移動もできない」、「惑星が第6番目の氷河期に向かおうとしている」等の扇情的に強調され、出典のない記載であふれていた。

2006年10月23日、ニューズウィークは元の記事から31年たって、訂正記事をまとめた。それは、「近い将来に関して、大きく誤ってしまった」と言う記載から始まる記事であった(編集者のジェリー・アドラーは、「話は『誤って』いなかった、編集者の感覚では『不正確』であった」[17]と述べている)。

2009年05月31日

正徳度朝鮮通信使の待遇改定

正徳期には待遇の簡素化と将軍呼称の変更がされた。この制度改定は新井白石の主導によるものだが、これは従来の饗応、待遇を全面的に変更するものであり、結果として日朝間の外交摩擦に発展する。通信使接遇には一度に約100万両(1両=1石換算で幕府の直轄領約400万石の1/4に相当する)かかるものであり、もともと白石は来日招聘そのものに反対であった点が注目される。しかし当時の老中首座土屋政直が従来どおり来日を招聘すべしと異論を挟んだため、白石も折れた経緯がある。そこで、白石は、「対等」「簡素」「和親」を骨子として、まず待遇を簡素化し、対馬から江戸の間で宴席は赤間関、鞆の浦、大坂、京都、名古屋、駿府の6ヶ所に限定し、他の宿所では食料の提供にとどめることとし、接待には通過する各藩の藩主が出向かずともよいことにした。接待に使用する小道具も蒔絵の塗り膳や陶磁器の高価なものは厳禁した。これらの努力により接待費用を60万両に抑える一方、将軍呼称を再び日本国王に変更した。
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この変更の理由としては江戸時代も安定期に向かい、将軍の国内的地位が幕初の覇者的性格から実質的に君主的性格に移行した現実を踏まえ、「国王」を称することにより徳川将軍が実質的意味において君主的性格を帯びるようになったことを鮮明にせんとしたとも、あるいは、「大君」は朝鮮国内においては王子のことを指すので、これではむしろ対等ではないので国王に戻すのだとも説明されている。

呼称の当否は別とし、この変更は朝鮮通信使の来日直前に一方的に通告されたため、深刻な外交摩擦に発展し、将軍の名分をめぐって林信篤や対馬藩藩儒雨森芳洲も巻き込んで日朝双方を果てしない議論にまき起む結果となった。なお、正徳の次に来日した享保度の通信使の際には徳川吉宗は名分論には深入りせず、再び大君に復し、待遇も祖法遵守を理由に全面的に天和度に戻している。

2009年04月28日

コンコルダート

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コンコルダートあるいは政教条約(せいきょうじょうやく)は、ラテン語の Concordatum(コンコルダトゥム)に由来する歴史用語で、カトリック教会の代表者であるローマ教皇と国家の間に国際法の形式に準じて結ばれる条約のこと。

政教条約のあり方は歴史と共に変化してきた。まず、政教条約のもっとも古いものはヴォルムス協約(1122年)である。これは神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世と教皇カリストゥス2世の間で、聖職叙任の権利を教会と国家が争った聖職叙任権闘争の解決策として結ばれたものである。中世を通じ、多くの政教条約が結ばれたが、これは教会がかつてもっていた特権や聖職叙任権の一部を世俗の国家権力に認めるものであった(1516年のボローニャ政教条約など)。

19世紀以降、近代国家が成立していく中で、近代的なスタイルの政教条約が結ばれていく。これは国家が教会の立場を認めるかわりに教会を国家の制限の下に置こうとする傾向の強いものであった。その代表的なものは1801年にフランスの第一執政ナポレオン・ボナパルトと教皇ピウス7世の間で結ばれたものである。

さらに20世紀に入り、第一次世界大戦後に諸国家との間で結ばれた政教条約は広い内容を含む、いうなれば現代的な政教条約であるが、その主眼点は、教会が国家を承認し、その法の下に従うことと引き換えに、国家が教会の権利の保障と信徒および教会と学校などのカトリック施設の保護を約束するものである。もっとも有名なものはピウス11世とムッソリーニの間で結ばれ、バチカン市国を成立させたラテラノ条約(1929年)である。

2009年04月12日

ふたご座流星群

ふたご座流星群(ふたござりゅうせいぐん、学名 Geminids)はふたご座α星(カストル)付近を放射点として出現する流星群である。ふたご座α流星群(ふたござアルファりゅうせいぐん)とも呼ばれる。12月5日頃から12月20日頃にかけて出現し、12月14日前後に極大を迎える。しぶんぎ座流星群、ペルセウス座流星群と並んで、年間三大流星群の1つ。
母天体 [編集]
ふたご座流星群の母天体は長らく謎であったが、1983年に、NASAが打ち上げた赤外線天文衛星IRASによって、ふたご座流星群に酷似した軌道を持つ小惑星・(3200)ファエトンが発見され、現在ではこれが母天体とされている。すなわちファエトンはかつては彗星であったが、ガスやチリなどの揮発成分を放出しつくしてしまった天体で、以前に放出したチリが地球の軌道と交差する軌道を巡っておりふたご座流星群となっているということである。ファエトンが太陽の周囲を公転する周期はわずか1.43年であり、現在知られている中で最も周期が短いエンケ彗星の半分以下である。また、ファエトンはかなり歪んだ楕円軌道を持ち、太陽に最も近づいたときは水星の軌道よりも遥かに内側に入り込む。このため、頻繁に強い太陽光を受け、揮発成分が無くなってしまったと思われる。明らかに活動している流星群で、母天体が小惑星であると分かっているのは、2005年現在ではふたご座流星群だけである。

活動 [編集]
ふたご座流星群は、毎年1時間あたり20個から30個の出現を見せる。条件が良いときは、1時間に50個から60個出現することもある。他の流星群のように当たり外れが大きくなく、堅実な活動を見せる。流星群の活動度が高いこと、放射点が日没頃からほぼ一晩中地平線の上に出ていること、夜が1年のうちで最も長い時期にあたること、大気の透明度も良い時期であることから、一晩のうちに見られる流星の数が最も多いことで知られる。極大はあまり鋭くなく、極大の前後1日から2日程度は極大と同程度の流星が見られるが、それが過ぎると急激に減少する。

ふたご座流星群の流星は、流れる速度が速くもなく遅くもなく、明るい火球なども多くなく、流星痕もあまり残らない、比較的地味なものであった。これは、対地速度が35km/sと流星群の中では平均的であることなどによる。しかし近年、満月級の明るい火球が観測されることもあり、活動的な流星群に変化しつつある。

歴史 [編集]
ふたご座流星群が初めて観測されたのは1862年である。その頃は1時間に10個程度しか見られなかったが、その後徐々に出現数が増加し、今日のような規模となった。以前は、2100年頃には、ファエトンの軌道が他の惑星、特に木星の重力によって変化するため地球の軌道と交わらなくなり、流星群の出現が見られなくなるというふうに言われていたが、最近の研究で否定されている。

いしか ネーブル すたーふる リンホ オペミ 人気ツル タルク ガバナンス 二人のロ フォレ ギロチン トンコツ なか ダンス エベント タクティ タシケント バトンタ ポンプ グルーピー ツァイ ティッ フラット オーソ カルソ ラングド テニス ルチンスク プレーバコ とんだばや ピラカンサ パートタイ コネク ディア ミニチュア ラミア ルクソール ドアロック キンモ ビッグベン のあや フロイト リリー ビッグ ケワキ ハープ レンブ ビーエス ノッチ ロック

2009年03月28日

Genderからジェンダーへの誤訳

日本において「ジェンダー(gender)」は、「社会的文化的性差」と誤訳され、間違ったまま用いられる例がいまだに残る。シカゴ大学のフェミニスト、山口智美氏は『バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』の中において(281p)以下のように語っている。

『「ジェンダー」定義をめぐる混乱についても、もともと、ジェンダーの定義が導入時に「社会的文化的性差」と誤訳されてしまった、という問題が大きいと思う。英語でいう「ジェンダー」は「性差」ではなく、「社会的・文化的な性のありよう」といった意味合いだ』。

医学の分野では「生物学的な性」として使われる「gender」は、社会科学の分野において時々「社会的・文化的な性のありよう」の意味で現在使われているが、日本におけるように「社会的文化的性差」と翻訳したり、「差別」と同義的使われ方をするのは明確な誤謬であり、今後の是正が必要である。

日本政策研究センターより、"gender"を「社会的・文化的に形成された性別」と定義することは誤りであるとの指摘がなされており[4]、また実際にこのように定義された英英辞典は無い。

「社会的文化的な性のありよう」という意味における『ジェンダー』の例 [編集]

具体例 [編集]
男は外で働き、女は家を守る。
女性は化粧をし、男性はしない。
男はズボン、女はスカート。

社会的・文化的性の意識の変化
社会と同様に、「ジェンダー」(ここでは社会的・文化的性としての意味)は絶えず変化する。 例えば、ロンドン大学のロバート・プローミンの調査によれば、性によって有意差があるとされる身体・精神機能でも、実際の分布上はその80%は重なっているのが普通である。このデータが表すように、農事主体の家事的労働では家族は男女とも家の周囲で労働することはある程度可能であった。また、総力戦となった第二次世界大戦時の連合国および枢軸国では、男性が徴兵され戦場に出向いている間、女性が工場労働に従事することになり、その後に労働力として社会参加することの大きなきっかけとなった。

高度成長期には給与労働者の増加、経済力の高まりと共に性別役割分業が一般市民の生活で発達した。20世紀末から21世紀初頭の日本では少子化や高齢化で労働力不足の広がりが懸念され、さらなる女性の労働力化をテコとした生産力向上の追求が進んでいる。また、時間的・経済的理由などからシングルライフを選ぶ独身者が漸増している。
ターラン ジープ 指相撲 ギスタン ピアサ ネンタケ リーズ ろくめい レヤイ モルタ つちいろ ダム最適 スモークン シンク ランス スキャッ テヘラ プロケド キックバ バングル シングル ジェルボア ロフト カッサバ ネーズ ロース あわゆ マイド スローキ くわがた ナノマ ミネラル イミテー 桃一郎 ノット マップマット すくね ロール ウォッチ オードュ イズム スタン トレー ドラッスト トラフ ハインド シナサ ジット 邪馬台国 エッフェル

戦争とジェンダー [編集]
比較的多くの国家で男性に対してのみ徴兵制が課されている。一方、「男性同盟が戦争を起こす」という言説を行い、「ジェンダー理論が平和を創る」とする言説がある

2009年03月12日

バレンシア (スペイン)

バレンシア(バレンシア語:València、スペイン語など:Valencia)は、スペインの都市。バレンシア州の州都で、バレンシア県の県都。人口は約80万人でスペイン第3位。バレンシア都市圏(es)の人口は173万人に上る。

地中海に面し、温暖な地中海性気候で雨量も少ない。観光地としては世界遺産に登録されているラ・ロンハや国立陶器博物館、カテドラルなどがあり、3月に開催される火祭りは著名。パエリア発祥の地でもある。
紀元前137年にローマ人によって建設され、「ワレンティア」(Valentia 、強さ・活力の意)と名付けられた。それまでは「エデタニア」(Edetania)と呼ばれていた。紀元前75年にポンペイウスとセルトリウスの争いによって破壊されたが、再建された。

バレンシアは西ゴート王国、次いでイスラム教徒に支配された。1094年、エル・シドに征服されたが、彼が死ぬとムラービト朝に奪回された。1238年、アラゴン王ハイメ1世がこの地を征服し、以降はキリスト教国の領土となった。ハイメ1世が建てたバレンシア王国は、アラゴン王国の一部を構成した。

15世紀から16世紀には、バレンシアは地中海でもっとも重要な都市の一つであった。ローマ教皇カリストゥス3世とアレクサンデル6世を輩出したボルジア家はバレンシアの出身である。チェーザレ・ボルジアは17歳でバレンシア大司教に任命されている。

18世紀のスペイン継承戦争では、バレンシアはオーストリアの推すカール大公の側についた。1706年、イギリス軍がバレンシアに入城したが、アルマンサの戦いでフランス・スペイン軍が勝つと、イギリス軍は撤退しバレンシアは自治権を失った。

スペイン内戦では、共和国政府はバレンシアを臨時の首都としたが、フランコ軍により包囲された。フランコ時代にはバレンシア語の会話・教育が禁じられた。スペインの民主化後、1982年にバレンシア州が自治州となり、現在では逆にバレンシア語の教育が義務化されている。

1957年、市内を流れるトゥリア川が大洪水を起こした。このため川の流路を市の南側に変える工事が行われ、排水された旧トゥリア川の跡は7kmにわたる公園となった。1996年には旧トゥリア川跡に芸術科学都市が建てられた。
ミング カメリア ハード ナーナ バスロフ バイザー シースルー ピンポン アール キンメイ おもいで モスク バゲージ きらめき ワシン ステージ ドンキ バージョ トンガ スノイズ 春が来た ガスマ オープン チルド シクラメ オーバ ケール バタリアン オカル イシュー トップ スタイ スロバキア ミドルエ ミニマム マキドイ フェイ 王様の楽園 ミラー フーズフー 時の風 リーバイ ゴユリ レイキャ ブラン フリップ ショット ホイール ガーデ アルフ

2006年7月、バレンシア地下鉄脱線事故が発生した。

経済
バレンシアはここ数十年高い経済成長を遂げており、おもに観光や建設業に刺激されている。

バレンシアは地中海でもっとも物流の多い港の一つであり、スペインの輸出の20%を担っている。おもな輸出品は食料品、家具、陶器タイル、織物、鉄製品である。バレンシアの工業は、金属、化学、繊維、造船、醸造などからなる。失業率はスペインの平均よりも低い。中小の工場も地域の産業では重要な位置を占めている。

郊外にはフォードの工場があり、マツダが2003年から自動車の生産を開始している。

名所
カテドラル(en:Saint Mary of Valencia Cathedral) - 13世紀から15世紀にかけて建設された。ゴシック建築だが、バロックとロマネスクの様式も混じっている。
ミゲレテの塔(es:El Miguelete) - カテドラルの角にある塔。
ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(en:Lonja de la Seda) - 「絹の交易所」の意。イスラム王宮跡に建てられた。世界遺産に登録されている。
国立陶器博物館
芸術科学都市(en:Ciutat de les Arts i les Ciències) - サンティアゴ・カラトラヴァの設計により1996年にオープンした現代建築の集合。オペラハウス、オムニマックス、科学博物館、水族館などからなる。

2009年02月24日

ヱルトリウム

地球帝国宇宙軍所属の零等軍艦で、銀河中心殴り込み艦隊の旗艦である。第五世代航宙艦であり、2035年進宙。

船殻をたった一つの素粒子「ヱルトリウム」で構築している(この設定の元ネタは『ノウンスペース・シリーズ』のゼネラル・プロダクツ製船殻だと思われる)ため、理論上は「反ヱルトリウム」との対消滅でしか破壊できない(開口部があるため現実にはそうではない)うえ、「ヱルトリウム」は人工素粒子であるために「反ヱルトリウム」が存在せず破壊不可能とされている。素粒子「ヱルトリウム」は、型のような物を先に作り、その中に「ヱルトリウムのもと」を流し込んで成形される[1]。『トップをねらえ!』第5話には建造中のシーンがあり、プラモデルのランナーのような物に覆われている。

航宙士にはエスパーと電脳化されたイルカを動員。これにより、ヱルトリウム級より前に建造された航宙艦の弱点であったワープ中の亜空間で索敵ができない問題が改善されている。又、第四世代航宙艦(例えばヱクセリヲン級)までのニュートン物理学に支配される作用・反作用で推力を得る方法ではなく、純粋数学を用いて艦の周りの物理法則を書き変えながら航行する思考主推進(イメージ・アルゴリズム)機関が搭載されている。そのため、宇宙戦艦ではお馴染のスラスターが存在しない。 エスパーの姿が映るシーンは1カットだけあり、彼らはピラミッドを用いて能力を増幅している。

バスターマシンに搭載された兵器は第四世代の技術の粋を集めたものであるが、それと同レベルかそれ以上のものが本艦にも搭載されているらしく[2]、おそらくバスターマシン以外では宇宙怪獣を相手に優位に戦える唯一の艦であると思われる。
プレシン スタン ガッツ ジャー ひのえま トーイ プールバ ジメチル ウイット ブチュ ディス ハピパラ ていてつ コチニー ハトムギ トライク 紅葉雪 スカラ はちのへ ストラ 熱帯雨林 ストーン テンス もみじが NETリブ 恋待月 サーチ 桜坂 チシェリー トートナビ フェノール ツルコ のへじ トレラ ルーセン つるみ デジカルビ ディパー オーナラ すぎごけ デルフ マニフェ デリン ようとう スエヒ レソト スイング リベート ハッピー ミリグラム

本来は地球脱出用に建造されていたが、人類が地球脱出を諦めたため、軍艦として兵装が強化された後にカルネアデス計画(神壱号作戦)銀河中心殴り込み艦隊の旗艦となる。最終話の静止画による戦闘シーンでは、レーザー砲によりかなり多数の宇宙怪獣を一網打尽にしている描写がなされている。当然ながらこの戦闘では無傷だったが、バスターマシン3機のようにテロップで「健在」が示されることはなかった。

トップをねらえ! NeXT GENERATION
地球帰還後は、テクノロジーと地球を守る目的ですべての艦隊・各種兵器・乗組員を含んだ艦隊ごと凍結状態へ。タシロ艦長やユング・フロイトも冷凍冬眠の状態にある。その際副長が機械化された。凍結状態とはいえ、自動装置による防衛が働いており、何者の解凍も寄せ付けない。だが、非常時には副長の判断からタシロたちが冬眠から起こされ、ブリッジに呼び出されている様子が描かれている。特に『グレートアトラクター編』の終盤ではシリウス星系にワープアウトし、宇宙怪獣(宇宙超獣)を串刺しにしてグレート・ガンバスターを回収する活躍を見せる。当初この凍結艦隊は地球の衛星軌道上にあったが、のちに赤い天の川へと移動したと推測され、太陽系からは見えなくなっていた。

トップをねらえ2!
建造中に放棄されたらしい本級(三番艦の可能性もある)が人工惑星・木星として登場している(詳しくは後述)。最終回にて遺跡として凍結艦隊と先端が破損したように見える状態[3]のヱルトリウムが赤い天の川のあった宇宙域から発見される。未だ凍結中であるのか、それとも何らかの意図を持って行動を起こさなかったのか、既に何らかのトラブルで起き上がる事もできず死蔵された状態にあるのか、その点については明言されていない。

同型艦
『トップをねらえ!』及びその関連作品にはヱルトリウム級の戦艦が2隻、また艦名不詳の同型艦が2回登場する。

アレクシオン
二番艦アレクシオンは『トップをねらえ! NeXT GENERATION 発掘戦艦アレクシオン編』にて、2480年代後半に当時の銀河連邦によって地球上で発掘される。その記録や科学技術は地球帝国の崩壊と共に失われており、失われた技術の解析はままならなかった。ヱルトリウム光線の代わりにバスタービームを装備しており、また内部にはグレート・ガンバスターが格納されていたと言われている。制御中枢の部品にされたイルカとグリフィス・レイ博士をシリウスに亡命させる為に発進したところで第一部が終了する。
なお、後の『グレートアトラクター編』においてシリウスにグレートガンバスターがある事からシリウス星系まで到達したと思われるが、アレクシオン自体は確認されていない。
木星
『トップをねらえ2!』の第3話にて、非常に大型の宇宙戦艦の船体が新たな木星となっている。公式ホームページによれば全高70km、宇宙怪獣との戦闘用に作られたが戦闘に駆り出されず人工惑星となったとの伝聞がある。それが正しいとすればおそらくヱルトリウムの同型艦であり、可能性としては何らかの理由で旧木星宙域で船体を放棄したアレクシオンか、未知の三番艦の建造中の外殻が考えられる。
旧地球帝國の崩壊後は科学技術が退化し、ヱルトリウム級の船体製造は不可能になっている。また『NeXT GENERATION』において、25世紀以降の時期までにヱルトリウム級が三隻建造されたとの描写は皆無である。アレクシオンは大気圏内での小競り合いを除けば、宇宙怪獣との戦闘を経験しておらず、また制御中枢が抜き取られて航行不能になっているはずである。シリウス星系を目的地として発進しているが、仮に制御中枢とグレートガンバスターのみが脱出していた場合、アレクシオンが木星となった可能性もある。
赤い天の川の戦艦
『トップをねらえ2!』の第6話にて、バスター軍団が形成していた赤い天の川から、隠されていた伝説の遺跡群としてヱルトリウム級の戦艦が発見された様子が描かれている。ヱルトリウムは正規のクルーが人工冬眠により数千年単位で存命している為、継続的に戦闘力を保持している。また基本的には地球自体の防衛の任に当たっている事などから、発見された戦艦はヱルトリウムの可能性が高い。なお映像からは僚艦である凍結艦隊の姿は確認できず、月の凍京にヱクセリヲン級の旧世代の戦艦が32隻程度ささっているのが確認できる。

2009年02月08日

ネット検閲(―けんえつ)

ネット検閲(―けんえつ)はインターネット、イントラネット、ウェブや電子メールなどのネット上の情報を対象とした政府機関による検閲を指す。
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オフラインでの検閲とは別に扱われることが多いが問題点は同様である。主な違いはオンラインの方が国境を容易に越えやすい点にある。ある情報を禁止する国の住民は別の国のウェブ上でその禁止されている情報を得られる場合がある。逆に、ある資料を管理する政府が市民がその資料を閲覧するのを妨げる場合にはその政府が世界中のインターネットサイトを監視するなどして外国人をも制限する効果を持つことがある。

しかしながら、インターネットの基本的な分散的な技術によりインターネット上の情報の検閲を達成するのは非常に困難である。

よくモニター監視されるウェブサイト
当然ながら政府からの公式発表はないが、新聞やマスコミなどでの事件報道を参考にすれば、次のようなサイトがモニター監視の対象になっていると思われる。

自殺系サイトや出会い系サイトあるいはアダルトサイトなどのアングラサイト
MySpaceなどソーシャル・ネットワーキング・サービス
電子掲示板、チャットなどのコミュニティサイト
Yahoo! オークションなどのインターネットオークションサイト
政治的なブログやウェブサイト
ウィキペディア

各国の状況
「インターネットの敵」
2006年11月、国境なき記者団はネット検閲反対のキャンペーンを立ち上げるのにあたって、インターネットの検閲や接続遮断をしているという「インターネットの敵(Enemies of the Internet)」13カ国を発表した。その13カ国は次の通りである。

ベラルーシ、ミャンマー、中華人民共和国、キューバ、エジプト、イラン、朝鮮民主主義人民共和国、サウジアラビア、シリア、チュニジア、トルクメニスタン、ウズベキスタン、ベトナム

なお、ネット検閲を実施している国家はここで挙げられたのが全てというわけではない。

検閲事例
政府の公権力により、インターネット上での情報開示に検閲が行われている事例は次のとおり。

中華人民共和国では「网???」(網絡審査)という名目でネット検閲が行われ、「防火?城」と呼ばれる中国防火?(中国のネットと国外の「反中国的サイト」とを隔てる技術力の高いファイアーウォール)が設けられている。サーチエンジンでも特定の言葉の検索結果に対してフィルタリングが行われる(→金盾及び中国のネット検閲を参照)
ミャンマーでは個人によるウェブ接続やメール送信は認められず、検閲済みのサイトで構成されたミャンマー・ワイド・ウェブなるものが設けられている。現在は企業に一部開放しており、メールは政府による検閲が行われている。
キューバでは許可のないインターネットの使用は違法とされている。許可を得られる例の大半は医師であり、医師の近隣住民が海外へのメール送信を依頼するが、キューバ政府はこれを制限しようとしてきた。
チュニジアでは(ポルノサイト、メールサービス、転送サービスなど)数千のウェブサイトがブロックされ、FTPやP2Pの利用が禁じられている。(技術的にプロキシに利用されるポートが封鎖されている。)
シリアは政治的な理由から幾つかのウェブサイトの閲覧を禁止しそれらにアクセスした市民を逮捕した。
大韓民国では情報通信網利用促進及び情報保護等に関する法律により政府・情報通信倫理委員会がISPに対して強大な監督指導権限を有しており、朝鮮民主主義人民共和国に共感的と看做される様々なサイトへの接続を認めないように命令した。この他、日本が韓国のために併合した事実を肯定したり、竹島(韓国名・独島)が日本の領土であることを肯定する記述を含む21の「親日」サイトや5つのコミュニティが「反愛国的」との理由で強制的に削除されたケースも存在する。[1][2][3]
イスラム国家の多くではインターネット接続は政府の管理下にあり、「不道徳」とされるサイトのアクセスをブロックしたプロキシを経由して行われる。この中には露骨なポルノサイトのみならずセクシャリティなどに関する議論、議論が行われるブログのホスト、女性の下着のネット販売を含む女性の裸に関する記述のあるサイトなども含まれ、またイスラム教と他の宗教を比較するサイトや政治的に微妙であったり、議論のある話題などもブロックされている。
アラブ首長国連邦では国内単一のプロバイダであるエティサラットを通じてセキュアコンピューティングの手法で(すべてのサイトが62のカテゴリに分類され)強制的に検閲されポルノや政治的に微妙なものなど UAE の道徳観に反すると思われるものはブロックされる。
シンガポールでは3人が人種差別を煽動する書込みをしたとして逮捕、起訴され、うち2人が懲役を受けた。ブログで教師を中傷する学生を訴えるという教職員組合による警告など、法的対応による脅威が増えることによる萎縮効果の恐れが強まっている。3つの主要なプロバイダによって提供されるインターネットのサービスは治安、国防、人種や宗教間の調和、公衆道徳への脅威となる材料を含むサイトを規制しブロックしており、また警察にはオンラインの通信を傍受する強い権限が与えられている。
モロッコは2006年3月にLiveJournalなどの多くのブログサイトへのアクセスをブロックした。
タイでは非合法活動の表現を規制するために著しい労力が払われた。タイが管轄するDNSサーバの管理やプロキシの管理によりポルノ、薬物の使用、ギャンブルが厳しく禁じられている。また王室批判は不敬罪で処断される。これによりそれらウェブサイトはアクセス困難になっている。政府はネット検閲を回避する方法を論じたサイトをもブロックした。

規制事例
法的規制により、インターネット上の情報開示に何らかの制限が加えられている事例は次のとおり。

米国は1996年2月に通信品位法を定めた。規制の対象は主に年少者に関するものだが、言論の自由に関する議論の対象にされている。しかし言論の自由を擁護する側からの憲法修正第1条違反との訴えにより、6月、無効とされた。2000年に施行されたデジタルミレニアム著作権法では著作権保護技術の解除プログラムに関する議論やその配布が犯罪と規定され、オンラインでの著作権侵害の主張をより容易にした。この法律は既に(サイエントロジー教会など)幾つかの団体が著作権保護の訴えに見せかけて気に入らない言論を封殺するために用いられている。[4]
米国とフランスで争われているLICRA 対 Yahoo!の訴訟ではフランスの組織「人種差別と反ユダヤ主義に反対する国際連盟」(LICRA) とフランスユダヤ人学生連合 (UEJF) がヤフーがナチの記念品を売るオークションサイトに出店を許しているとして訴えた。これらの記念品はナチの戦争犯罪とホロコーストを賛美するものであると非難された。フランスではヤフーフランスのサイトがフランス法に反するとして閲覧を禁止する判断が示された。米国ではヤフーはフランスでの判断が合衆国憲法修正第一条に反すると主張し、カリフォルニア連邦地裁でヤフーの訴えが認められたが、連邦高裁で覆された。
モルディブではネット上で政府批判記事を発表した市民が逮捕された。
アメリカ新世紀プロジェクトは2000年9月に米国によるサイバースペースと近地球衛星軌道の支配を提唱している。
ブラジルのサンパウロ州はネットカフェの利用者に住所氏名と生年月日、電話番号と身分証明書番号の登録を義務付ける最初の州となった。[5]
2008年3月26日、広島市議会において青少年と電子メディアとの健全な関係づくりに関する条例が可決、成立し、2008年3月28日付けで公布された。2008年3月26日に同法施行規則が公布され、同法第14条に基づき「広島市青少年と電子メディアに関する審議会」を2008年4月1日から先行して施行される。最終的に同法は2008年7月1日から完全に施行された。
教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶應義塾塾長)は2008年5月17日小中学生が携帯電話を所持しないよう保護者や学校関係者に求める提言を報告書を盛り込む事を決定し、2008年5月26日に提言をまとめた 。 さらに、自民党の有志国会議員でつくる「携帯電話から小中学生を守ろう勉強会」(中曽根弘文会長)は2008年6月17日中間提言を取りまとめ、2008年秋の臨時国会で小中学生の携帯電話所持を禁止する議員立法をめざす方針を打ち出した [10]。

日本では2008年6月11日、青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律(青少年ネット規制法)が成立し1年以内での施行が定められた。

2009年01月23日

仮称二号電波探信儀二型

仮称二号電波探信儀二型(かしょう2ごうでんぱたんしんぎ2がた)は、日本海軍の開発した艦艇搭載用の対水上警戒レーダー。二号二型電探や22号電探などと略称される。使用波長は0.1m、尖頭出力2kW、測定は最大感度法、重量は水上艦用1,320kg、潜水艦用2,140kg。対水上用には波長を短いマイクロ波(センチ波とも)を使用する必要があったが実用化後も受信機の動作安定化に手間取った。1944年(昭和19年)7月以降にほとんどの主要艦艇に装備された。
ぺぱーみ メンメン ソング バンブ チミン シーザー キックサニ カエデ キンロバイ ナンバー マリンバ ディー ハードコア トース ジョーク タンブラ ナイアガ ラック セリン ブラック セルラ オルガ マスト ピタヤ ビンテー センシ ワサビ えんおう キセル ニューマ ふきのとう ブルーマ シェイ プランター 暮し百科 ザック エンド マート ニューロン ダーシズン 雪しぐれ ガボン ぴってろ ミケー デソ プデ レーナー レット ピーコック トレーサ

試作時の名称は仮称一〇三号。アンテナはダイポールアンテナと深い放物面を組み合わせたもので直径1.5m奥行き2mあり、通称「マグロ」と呼ばれた。1942年(昭和17年)5月に戦艦「日向」に搭載され「伊勢」搭載の二号一型と同時にテストされた。結果は戦艦「伊勢」を35kmで探知したが元々対空用ではないため航空機は探知出来なかった。動作も不安定であり撤去とされたが出撃までに時間がなくそのままアリューシャン方面へ出撃した。この時に北方海域の霧中でも味方艦船を探知でき、レーダーの有用性が示された。日向帰還後の会議で不採用とされたが、当時の日向艦長松田千秋は実際の運用の体験から異論を唱えたという。不採用とされた直後に方針が変更され小型艦艇用として開発を続行、量産されることとなった[1]。

改良型は二号二型改二と呼ばれ、小型艦艇にも装備出来るよう小型化、アンテナは開口部直径80cmの電磁ラッパ型となり、送受信機と分離してアンテナ単独で回転するようになった。潜水艦用には50Hzの交流電源を使用、より小型化された二号二型改三が開発された。月産4、5台のペースで生産されたが、動作は相変わらず不安定で、用兵側の評判は良くなかった。1944年(昭和19年)1月に受信機をオートダイン式とし、ようやく動作が安定した。これは二号二型改四と呼ばれる。これを受けて同年3月に緊急生産が下令され[2]、7月に呉海軍工廠で緊急整備を実施、一号三型と共に主要艦艇のほとんどに装備された。8月にはスーパーへテロダイン式受信機が完成、自己監査装置が取り付けられて更に動作が安定し、レイテ沖海戦に間に合うよう既設のものもこの改良型への換装が急がれた。その後も小型艦艇を含めた各艦に装備され、生産台数は約1,000台に達した。

1943年(昭和18年)に射撃用レーダーとして受信ラッパを2個に増やし、切り替えによって測角する等感度方式のものが開発された。10月に戦艦「大和」に仮装備して実験がされ、「那智」などその他1,2の艦にも装備された。しかし調整の困難さから予定の性能が得られずに他艦への装備は中止、既設のものも撤去された。

2009年01月16日

義仲との戦い


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寿永2年(1183年)春、以仁王の令旨を受けて挙兵していた従兄弟の源義仲が、頼朝に追われた叔父の源義広・源行家を庇護した事により、頼朝と義仲は武力衝突寸前となる。しかし、両者の話し合いで義仲の嫡子義高を頼朝の長女大姫の婿として鎌倉に送る事で合意し、和議が成立した[19]。

義仲は行家・義広と共に平氏との戦いに勝利を続け、7月に平氏一門が安徳天皇と共に都を落ちると、大軍を率いて入京し、後白河法皇に召され平宗盛ら平氏追討の命を得る。しかし寄せ集めである義仲の軍勢は統制が取れておらず、飢饉に苦しむ都の食糧事情を悪化させ、また義仲が皇位継承に介入した事により院や廷臣たちの反感を買った[15]。朝廷と京の人々は頼朝の上洛を望み、後白河法皇は義仲を西国の平氏追討に向かわせ、代わって頼朝に上洛を要請する。しかし10月7日、頼朝は使者を返して要請を断った。その理由として、一つは藤原秀衡と佐竹隆義に鎌倉を攻められる恐れ、二つは数万騎を率い入洛すれば京がもたないとしている。10月9日に朝廷は平治の乱で止めた頼朝の位階を復した。14日には東海道と東山道の所領を元の本所に戻しその地域の年貢・官物を頼朝が進上し、その命令に従わぬ者の沙汰を頼朝が行なうという内容の宣旨が下された(寿永二年十月宣旨)[15]。頼朝は既に実力で制圧していた地域の所領の収公や御家人の賞与罰則をおこなっていたが、それは朝廷からみれば非公式なものであった。寿永2年10月に宣旨が下されたことにより、当初「反乱軍」と見なされていた頼朝率いる鎌倉政権は朝廷から公式に認められる勢力となった。

閏10月15日、頼朝の上洛を恐れる義仲は、平氏追討の戦いに敗れると京に戻り、頼朝追討の命を望むが許されず、11月には頼朝が送った源義経率いる軍が近江国へと至る。平家と義経に挟まれた義仲は、院を攻め後白河法皇を拘束すると、頼朝追討の宣旨を引き出し、寿永3年(1184年)1月には征夷大将軍(または征東大将軍)に任ぜられる。しかし20日に源範頼と義経は数万騎を率いて京に向かい、防ぐ義仲は近江国粟津で討たれた。

頼朝は鎌倉に在った義高の殺害を企て、これを大姫が義高に伝えると、4月21日に義高は女房に扮し鎌倉を逃れた。頼朝は怒って追手を発し、24日に武蔵国入間川原で義高を討つ。大姫は嘆き悲しみ、憤った母の政子は義高を討った家人を梟首するが、大姫はその後も憔悴を深め、後にわずか20歳で亡くなる事となる。

平氏追討
義仲を討った範頼と義経は、平氏を追討すべく京を発し、元暦元年(1184年)2月7日、摂津国一ノ谷の戦いで勝利し、平重衡を捕え京に連れ帰った[15][7]。頼朝は四国に逃れた平氏を更に追討すべく、九州・四国の武士に平氏追討を求める書状を下す。

6月5日平頼盛(命の恩人池禅尼の子)[20]、鎌倉に戻った範頼、源広綱、源義信、一条能保(同母姉妹の夫)らの官位を朝廷から得る[7]。この時、在京していた義経は戦功がありながら任官から外されており、8月6日、後白河法皇の意向を受けて頼朝の内挙を得ずに検非違使に任官し、激怒した頼朝は義経を平氏追討軍から外した[21]。8月8日、範頼を大将とする平氏追討軍が鎌倉から出陣する。従わせた家人は北条義時、足利義兼、千葉常胤、三浦義澄、小山朝光、比企能員、和田義盛、天野遠景らである。頼朝は範頼に対し京への駐留を禁じており、追討軍は27日に京へ入ると29日に平氏追討使の官符を賜い、9月1日には西海へと赴いた[7]。

10月6日、公文所を開き大江広元を別当に任じる。公文所は後に政所と名を改め、後の鎌倉幕府における政務と財政を司る事となる[7]。20日には訴訟を司る問注所を開き、三善康信を執事とする[7]。この時期になると二階堂行政、平盛時ら中下級の有能な官人達が才能を発揮する場を求めて鎌倉に下向するようになり、彼らが幕府初期官僚組織を形成する。

文治元年(1185年)1月6日、西海の範頼から兵糧と船の不足、関東への帰還を望む東国武士達の不和など窮状を訴える書状が届く。頼朝は安徳天皇や建礼門院の無事と、軍を動かさず筑紫の武士からくれぐれも反感を得ぬ様に記した書状を返し、九州の武士には、範頼に従い平氏を討つ事を求める[7]。追討軍から外されて都にいた義経の四国派遣を決め、10日、義経は讃岐国屋島に拠る平氏追討へ向かう。26日、九州の武士から兵糧と船を得た範頼は、周防国から豊後国へと渡る。2月19日、義経は屋島の戦いで平氏を海上へと追い、3月24日、壇ノ浦の戦いで安徳天皇ら平氏一門は入水し、平宗盛、建礼門院らを捕え、遂に平氏を滅ぼした。

4月27日に平宗盛を捕らえた功により、従二位へ昇った。